「こだまでしょうか」でしょうか

ご存知、金子みすゞさんの詩。
「こだまでしょうか」


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。


自分が放ったものが、こだまのように帰ってくる。

としたら、
自分が周りの人の言動に傷ついたという時・・・
それは、自分の中から放たれたものが、自分に帰って来た結果である、ということになるのかな。

生きるのが不器用で、
素直になれずに、与えられている愛を突っぱね続けていると
自分が届けたい愛を、突っぱねられてしまう こだま が帰って来てしまう・・・

突っぱねてしまう人に限って、
本当は
愛を受け取りたくて仕方ないのに。
愛を受け取ってもらいたくて仕方ないのに。。

でも、ごめんね が恥ずかしくて言えなくて、
ごめんね のこだま が帰って来ない・・・

観念して
愛を受け取って
勇気を出して
愛を受け取ってもらって

意地はったって、
意地はられてしまうだけ。

バシャールも言っていた。
鏡の向こうの自分に笑ってもらうには、
自分自身が、先に笑わないと。

世界は こだま でできてますね。