受け取ってからの「ありがとう」

朝と夜、神棚ゾーンに手を合わせているのですが、今朝、手を合わせて神様に「ありがとうございます」と祈っていたとき。

――受け取れていないのに「ありがとう」と言うのはいかがなものか?

と言葉が浮かびました。

毎度のことなので、「ありがとう」の祈りが形骸化し、事務的な、セリフのようになっていたのを、神様に見透かされていたようです。。

祈りは“意乗り”“意宣り”。
ありがとうと言いながら、言葉の中に感謝の意が入っていないのは、初心者なのにウェアだけは一人前に揃えている人みたいな感じでしょうか・・・
そろそろ中身が伴わないとね~、とダメ出しされた感じです(^^;


あるいは、私が「受け取り下手」だという忠告だったのかも知れません。

受け取ることができないと、氣が枯れてしまう。
氣が枯れると、与えられなくなり、豊かな循環が止まってしまう。

「自分ばかりが豊かになってはいけない」

という感じの、受け取ることへの抵抗や遠慮は、次の人に豊かさを伝えることの妨げになってしまう・・・

受け取るという行為は、自分が得をするためのものではなくて、プレゼント交換みたいに、隣の人に順々に伝えるためにする行為なのかも知れません。

受け取れた喜びの濃さによって、「ありがとう」という言葉の濃さも、変わってきます。


受け取り上手になりたいと感じました。